燃える魂vol.4

atsushi-demi2007-06-23

いやいや、前回は大変失礼をいたしました。

読み返してみると、内容が無いYO!である。

なんていうか、男根のことしか書いてない。

いあ、ドリルが男根なのはそうなのだ。

このことがおもしろいと思うのは、

最近のアニメっておおっぴらに

漢を売る作品ってなくね?wってことである。

なよなよした少年主人公。

これはもう定石だ。

で、そいつをシャキっとさせるのは

いつも美少女のヒロインのはずなのである。

しかし、シモンを勇気付けるのはアニキなのだ。

アニキはシモンにとって父なのだ。

お手本なのだ。ここが重要だ。

これはポストモダン社会が

大きな物語を失って世の父を失ったことからの

復活の兆しだと僕はそうとらえる。

後の展開でアニキは死ぬのだが、いまはそのことはいい。

飽和状態になって閉塞感が蔓延し、

うじうじ自己撞着に陥っていた世の中が、

癒しだゆとりだとマスターベーションしていたのが、

(ゆとりはなんか違う気がするが)

もういいじゃないか、こんなことやっててもしょうがない。

思うように生きようじゃないかと、

そんな風に変わりつつあるんじゃないだろうか。

あまりアニメのことを世の流れと結びつけるのも

どうかと思われるかもしれないが、

こういうサブカルの細部にこそ、

世の中の変貌の詳細が現れるものなんじゃないだろうか。

ましてやいまや、日本文化の一部を担うアニメである。

そこから学んでも文句は言われまい。

少し話がそれたが、アニキはシモンにとって「父」なのだ。

そしてその父は

「無理を通して道理を蹴飛ばす」と子に促す。

なんてすばらしいパンクなんだ。

アニキはシモンにとって

人生の創造者であり、

世の破壊者であるのだ。

この流れは二話になっても変わらない。

サブタイトル「おれが乗るっていってんだ」

からもわかるとおり、ルールをアニキが作っている。

また「ドリルは男のロマンなんだよー」とか

「おれを誰だとおもってやがるキィーック」

「よくも俺の子分をパァーンチ」

などの台詞や技名など、センス溢れる。

カッコいいのだ。

三話も無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁ〜など

話の随所に過去のサブカルの文脈が引用される。

だいたい無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁ〜は

あの有名なディオの言葉ではないか!

ジョジョからの引用なのだ。荒木飛呂彦なのだ。

ここまではストーリーや脚本に関して

だらだらと話してきたが、もちろん魅力はそれだけではない。

絵もとてもきれいだし、動きもすばらしい。

しょこたんが歌う主題歌もいい感じだ。

いやさらっと流してしまいそうになったが、

絵がとてもきれいというのはとても重要なのだ。

第四話があるからである。あの第四話だ。

一話から三話までで、十分に作品自体のクオリティー

保証されなければならない。

説得力がいるのだ。

またこれはスタイル放棄という話にも関係がある。

放棄すべきスタイルがなければ話にならないからである。

もうひとつ付け加えるならば…

いやいや、今日のところはこのくらいにしよう。

次は第四話である。

次回予告→「後悔しない公開」